大まかなストーリーは
グリプス戦役(Zガンダム)で死んだと思われていたシャアが
生き残っていて、サイド3で極秘裏にネオジオン軍を名乗り
地球連邦に対して戦線布告、隕石落としを仕掛ける。
対抗するアムロ率いるロンドベル部隊が応戦するも
1個目の隕石フィフス・ルナの地球落下を阻止できず。
シャアはその後連邦政府と偽の和平交渉を行いアクシズを入手成功。
本命の大型隕石アクシズを地球に降下させようとするも
アムロの乗るガンダムとロンド・ベル隊により作戦失敗。
戦闘終了後、アムロ、シャア共に行方不明。
とまあこんな感じなんですが、
この作品におけるシャアの立場を見ると実に複雑な大人の事情がからんでいます。
1年戦争のエースパイロットとしての 赤い彗星のシャア
ジオン・ダイクンの息子としての キャスバル・ダイクン
ネオジオン軍総帥としてのシャア・アズナブル など
政治の場にも象徴として顔を出し、自軍の士気向上の為のパフォーマンス。
パイロットとしてライバル・アムロとの決着を付ける為。
色々な役を演じ分ける大人のシャアがいますが
本心は過去の恋愛やライバルとの長年にわたる因縁関係に
決着を付けるための私的な戦争だなと捉えることができます。
要するに男はバカだと。
昔の女の事、越えられなかったライバルの事、母親への思いなどが
自分の置かれている政治革命家という立場の重圧。
一気にいろんな感情が噴出すと
極端な手段を選んでしまうという事でしょうか。
ここにはシャアを通して、監督のガンダムという作品に対しての感情が
伝わってきます。
おそらくシャアは監督の分身です。
自分がアンチアニメとして生み出したガンダムという作品が
いつの間にか一人歩きし、アニメそのものを象徴する存在になってしまった。
生みの親として、クリエイターとして過去の作品を越えられない自分に対して
答えを出そうとした時、全てを破壊し無に戻す。
そんな発想なんだと思います。
現に小説版では最後にモビルツーツ否定的な内容になっており、
映画製作サイドからNOを突きつけられて映像作品では修正されていますし、
結果 監督の思い描く真の逆襲のシャアは小説版にあると思います。
そんなシャアの人生を哀れむのもこの作品の楽しみ方ではないでしょうか?
その5 につづく
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